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えむ式

シンプルに生きるための備忘録のようなもの

お田の方、真田信繁(幸村)の五女が建立した「妙慶寺」

NHK大河ドラマ真田丸」もいよいよ佳境でしょうか。私はテレビをほとんど観ないのですが、夫は毎週楽しみにしているようです。そんな夫に誘われて、真田信繁(幸村)の五女・お田(でん)の方が建立した「妙慶寺」に行ってきました。

 

お田の方は、本名を「直」(なおorなほ)といい、真田幸村と、豊臣秀次(秀吉の甥)の娘の間に誕生しました。なんと、真田家と豊臣家の血を引く姫君です。そんな名門中の名門の姫君が、実はここ秋田と深い関係があるのです。

 

直は16歳の時に、秋田藩久保田藩)の藩主・佐竹義宣の弟、宣家の側室として迎えられます。その後宣家が亀田藩の藩主となり、直も正室として「お田の方」と呼ばれるようになりました。

 

当時、正室は実家の家名をとって「○○の方」と呼ばれるのが習わしだったそうです。なので、直は本来、「真田の方」と呼ばれるはずなのですが、徳川家に遠慮して、「真」を取って、「お田の方」と呼ぶようになったとのこと。これは、私も今回はじめて知りました。

 

徳川家康との戦に負けた側の姫君である直ですが、あの真田幸村の娘であること、そして徳川方の謀将である真田信之(幸村の兄)の計らいもあり、命を救われ大奥に出仕します。そして、さすが幸村の娘、礼儀作法はもちろんのこと、武芸にも秀でていたことから佐竹のお殿様に見染められたというわけです。

 

お田の方は良妻賢母としてお家を守り、子供たちを立派に育てただけでなく、実家である真田家の再興にも尽くしました。そんなことから、地元亀田では今もお田の方(顕性院)は敬慕の念をもたれている存在のようです。

 

それにしても、わずか32年の生涯だっというのに、なんとも濃い一生ですね。

 

お田の方の墓碑。お田の方の母、娘、そして弟の墓碑も並んでいます。

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ここにも、六文銭

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顕性山妙慶寺

秋田県由利郡岩城町亀田最上町字最上町104

 

妙慶寺の宝物殿には、お田の方の甲冑・薙刀・衣桁・脇息などが収められています。