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えむ式

シンプルに生きるための備忘録のようなもの

いらないモノをもらってちょっと落ち込んで、気付いたこと

また、ボールペンをもらってしまいました。で、自己嫌悪。どうしていらないモノをもらってしまったんだろうか、と。筆記具は自分に合っていてストレスなく使えることが一番だから、定番を決めているのに。

 

粗品などでボールペンをもらうことって多いですよね。でも、ほとんどは使わずにどこかの引き出しに転がっていて、断捨離のターゲットになりやすいモノのひとつです。

 

今日もらったボールペンはこれです。見た目は少し高級そうかな。でも重さとかグリップの感じとか、私には合わないので使いません。

 

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仕事関係でちょっぴり迷惑をかけた(と相手が思っているらしい。)ことへのお詫びの意味らしく、その気持ちがわかったから受け取ってしまいましたが、瞬時にこれは使わないだろうこともわかりました。

 

私がいらないものを断れずにもらってしまう心理を考えてみました。

 

1. 相手の気持ちを断るのは申し訳ない・・・95%
相手は、感謝とかお詫びとか私への何かしらの気持ちをもってモノをくれるのだから、その気持ちを受け取らなければいけないだろう。もし、断ったら相手を傷つけるのではないだろうか。

 

2. タダのモノをもらって得した・・・5%
「おまけ」につられる心理はこれ。何であれタダのモノをもらうことは魅力的。

 

ということで、タダのモノをもらってラッキーという若干のスケベ心を秘めつつ、相手の気持ちを受け入れなければならないだろうということで、いらないボールペンをもらい続けてきたようです。

 

と、ここで気が付きました。相手の気持ちとボールペンを一緒にしていたのがダメ。「気持ち=ボールペン」では無いのだから、「ありがとう。」と気持ちだけ受け取って、ボールペンには「ノー」を言えばよかったのです。もちろん、そこで沸き起こるタダのモノをもらうことへのスケベ心にも、「ノー」を告げます。

 

私が相手を傷つけることを避けようとする根底には、自分が傷つくことへの必要以上の恐れがあるようです。「ノー」と告げても相手が傷つくとは限らないし、もし傷ついたとしてもそれはその人の課題。同様にどんな場面であれ、相手がどうであれ、自分は傷つく必要はないのです。考えなければならないのは、ボールペンをもらうかもらわないかということではなく、どう「ノー」を告げるかということだったのですね。

 

それにしても、粗品などでもらうボールペンで、使いやすい、書きやすいものに出会ったためしがないのはなぜ?